「くまもと発アート新世紀」
2002 熊本日日新聞
小 野 由 起 子
「何から話しましょうか。」落ち着いた口調だが、はずむように言葉があふれてくる。建築現場で無口でクールな姿をみていただけに意外だった。
作品も建築家に似ている。空間構成はシャープなのに、触ってみると壁のざらつきや
柱の丸みが温かい。第五回JIA熊本住宅賞を受賞した自邸「N House」は、杉板と銅板の箱を組み合わせたような現代的な外観。だが、内部は砂壁の土壁、リビングにあふれる光―。自然へのオマージュに満ちている。
凛(りん)とした住まいだ。自然素材をふんだんに使いながらもシンプルで洗練されている。「心をいやす、伝統的な日本の住まいの情感を出したい。でも、昔と同じことを繰り返すわけにはいかない」。裏では細やかな職人芸を使いながらも表面はあくまで、
さらっと見せる。「やせ我慢の美学ですね」
自邸は故郷・宇土郡不知火町の実家を建て直したもの。熊本工大(現・崇城大)の学生時代から地域と建物の関係性がテーマだった。「長男でもありますし。自分を二十二年間育ててきた場所に帰っていく、そんな覚悟はありました」
大学卒業後、神戸大で研究生となった。師事した建築家の重村力氏(現・神戸大教授)は、「Team Zoo いるか設計集団」のリーダーでもあった。前身は、世界的建築家
ル・コルビュジェの弟子でもある故・吉阪隆正氏の影響を受けた「象設計集団」。
象設計集団は、日本が無個性なビルに覆われ始めた高度成長期後の1971(昭和
46)年に設立。失われつつある土地の風土を、過激なまでに表した建築を手掛けた。
復帰直後の沖縄に、列柱が並び、屋根にブーゲンビリアをはわせた真っ赤な今帰仁
(なきじん)村中央公民館を造るなど。
「『象』はゼネコンはじめ権力への反旗でもあった。建築の世界でも国際化がもては
やされる中、地域に根差した前衛に目を開かれた」
徳島県の脇町立図書館(第十二回吉田五十八賞)などにかかわり、91年に熊本へ戻って独立。「いるか」での経験が、現代を生きる人にとっての建築の在り方を考えさせた。
「今はイデオロギーではなく個人の時代、その人にとってかけがえのない場所を造り
たい。心からくつろげる場所がないと、他人や社会を認め、慈しむこともできないんじゃないでしょうか」
重村氏と親しい藤森照信氏らと組んだアートポリス「県立農業大学校学生寮」
(2001年日本建築学会賞)も刺激になった。「建築に関するさまざまなルールをあえて無視した藤森さんの仕事に、僕自身も解き放たれました。何をやってもいいんだ、と」
日々の仕事は、注文を受けての設計がほとんど。「注文通りの家を造ることもできるが、そこに何か新しい提案を」。注文主の価値観やライフスタイルを知るために、
25ページになる問診表も作っている。
ものを造る人の、エゴかもしれない。「建築は使う相手がいる以上、ただの自己表現ではすまされない。だが、人はイスに座る母の後ろ姿とか、窓から見える木々とか、何気ないシーンに救われるものだと思う。日ごろは役に立たなくても、住む人が幸福になれるような小さな部分に、建築家としてのすべてをかけています」
人と建築は影響しあう、と西山さんはいう。「だから一つのスタイルに固まってしまいたくない。ル・コルビュジェ、スカンジナビアモダンのアルバ・アールト、好きな建築家は年を重ねるほどに初々しい作品を残した。作品にも人生にも、あこがれますね」