「 拝 啓、田 中 邦 衛 様 」
2021 4月
西 山 英 夫
作家 遠藤周作は、大人の条件として、孤独に耐えられること、屈辱に耐えられる
こと、自分に対するヤマシサというコンプレックスがたえず頭のどこかで働いている
こと、と何かに記していた。
太宰治は、「大人とは 裏切られた 青年の姿」と小説津軽の中で語った。
「北の国から」の黒板五郎が亡くなった。
81年の初回からずっと観て来た。その後も思い立つたびに観返して、何回観たのか
分からない。多くの人が共感し涙したシーンや台詞の他にも、自分の中で記憶に残る
シーンや台詞が今も忘れられない。
「男は見栄で生きている、と失意の純に父親をかばう草太」
「令子の死に、喪服のまま公園で途方に暮れる吉野」
「富良野駅の片隅で密かに見送るホステス こごみと、それを後ろから見つめる五郎」
「待ちわびる五郎よりも駅を素通りして勇次の元へ先を急ぐ 螢」
「真夜中の新得駅前の車中で静かに語り合う成長した兄妹二人」
「正ちゃん うれしいよ、 札幌の公園で正吉の想いに胸が詰まる螢」
きりがない、
脚本家の代わりに純の一人語りで綴られる21年の道のりは、結局さまざまな
“ 目線”を描いていたように思う。自分のふるまいを見つめる心の中の目線、
他者への慈しみの目線、時代や社会への懐疑の目線。
思えば、家族の全員が世間的には敗者と言われるような生き方と、たくさんの挫折。
更に、数字が価値を持つ世の中で数字では表しきれない喜びや苦悩を、各々の持つ
赤裸々なエゴ、ヤマシサやウシロメタサと、それを必死に補うような他者への気遣い
のアンビバレンツ。
ひとはどこかで、自分のヤマシサの代償として他者を思いやるのだろうか。
ドラマに出てくる一人一人は決して聖人君子ではなかった、遠藤周作の言う
「 大人の条件 」と闘っていた。
日頃ひとつ建築をつくるたびに、自分の思いを優先したいウシロメタサが
どこかに潜んでいる。
ある建築家が、いつかこう語っていた。
「建築家は、“人間”に興味がなければいけない ・・・」 と。
ドラマはドラマの世界でしかないのだが、本当は私の身の回りに大小いくつもの
「北の国から」が今日もすぐ隣で綴られているのかもしれない。
美しい余韻とともに、生きることへの矜持と葛藤を多くの人に、そして建築に
携わる私に観せてくれた 田中邦衛・黒板五郎さん、 あなたに感謝します。