「シンプルな暮らし」
2007 ロハウス
西 山 英 夫
だいぶ前に他界した私の祖母は、とてもきれい好きな人間でした。戦後直ぐに建てられたかつて私が育った家屋は、いまどきの住宅からすると不便だらけで、もちろん全ての家族に個室があるはずもありません。でも記憶に残るその家は、どこか妙に家の中の空気が澄んでいたような気がします。田舎暮らしで、もともと物が少ない上に、祖母からいつも厳しくいわれていたせいでしょうか。
日頃、住宅を設計していく上で、間取りにしても空間のデザインにしても、足し算と引き算ということをよく考えることがあります。いま私たちの周りには、ものや情報がいっぱいで、それこそ溺れそうなくらいです。いくら片づけても、美しく住まいを装っても、毎日の暮らしがそれについていけません。もちろん収納スペースやデザインの問題だけで、それを解決できることではないでしょう。自分自身の暮らしには何が必要か、そんなことをいつも考えながら計画を進めています。
シンプルでモダンな暮らし。それは言い換えると、一種の「いさぎよさ」や「覚悟」でしょうか。素敵なインテリアや家具等も大切ですが、それ以上に、住まい手の生きる姿勢や目線のように思えます。ブロイヤーチェアで有名な、20世紀を代表するモダンデザインの建築家、マルセルブロイヤーの夫人コニーブロイヤーがある本に、こんなことを書いていました。「モダンであることは謙虚で控えめで、しかも上品であるということです。モダニズムとは、決して金持ちの道楽ではなく、すべての人々のための暮らし方を示す考えだったのです。」と。
ものごとの価値が不確かないまの私たちの世の中で、周りのひとやものと比較して優劣をつけたら切りがないように思います。それよりも、住むことや暮らすことにこだわり楽しみ、そしてまた格闘しながら、自分たちの物差しで本当の豊かさを測っていく。そこにはきっと、空気の澄んだ、各々のシンプルな暮らしの時間と空間が見つかるような気がします。