「喜びの生活」建築の原点に

2005 熊日日新聞

西 山 英 夫

 建築士と建設業界による常識を超え、良識を疑う事件が起きた。同業の世界に身を置者として、あまりに衝撃的な事態でやりきれない。そうしてこんな事件が起きたのか。

これから私たちは、そして同業者である自分はどうしたらよいのか。そんな時、日本を代表する建築家で私の師匠筋にあたる故吉阪隆正の言葉を思い出した。

 「建築とはわれわれの喜びの生活を実現させるための貴重な道具である」。道具であ以上、物理的な意味での機能性、そして法の規範を持ち出すまでもなく、安全や安心当然で、医師の倫理と同様に、建築にかかわる人々はそれを十分に分かっている。

今回耐震強度偽装事件は、住民にとってもまた良識を持った建築家にとっても、ある種のテロリズムにも等しい暴力的な出来事だった。

 過日、本紙に掲載された「論壇」では、建築基準法ないしは建築士法の弱点を指摘していた。しかし今回のように営利を優先させて設計者や施工者が元請、下請の関係をつくり、自分たちの利益を最優先したらどんなことになるか。法規制の強化だけではこの問題は解決できないだろう。

 そもそも建築とは、時代や地域の産業や経済、そして文化や人々の精神性までも映す、複雑で豊かな産物である。それ故に一つの建築や住居にもさまざまな価値や機能の捕え方ができるはずだ。しかし、そんな「人間のための建築」は今や忘れ去られようとしている。建築を含めた広い意味でのモダニズムは、合理性と利便性を頂点を押し進め、さらに市場原理と強く結び付いた。今回の事件は、建築の持つ豊かさを、作り手自身が裏切る行為でもあった。

 われわれが生きているのは法や数値による整合性だけでは説明できない多様性に満ち世界だ。そんな中で「喜びの生活」を見い出すには―。もう一度「貴重な道具として建築」を素直なまなざしで見つめ直したい。