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「時間って、いったい誰のもの?」
2011
西 山 英 夫
もう5、6年前だろうか。仕事で晩秋の南阿蘇に出掛けた折、静かな夕暮れの南郷谷にアイドル歌手の歌が時報とともにこだまして来た。もの思いにふけるいとまもなく、少し空しさが込み上げて来たことを今も思い出す。実は、私の住む街でも同じく、正午と夕方5時の時報代わりに同様のメロディが広報用スピーカーから流れている。加えてその中間、3時にもラジオ体操が1コーラス流れてくる。365日、正月も忌中も午後3回の刻の声ということである。
2010年の本屋大賞第1位に輝いた小説、「天地明察」は、江戸初期の天文学者、渋川春海が幕府の密命で新たな暦を作り直すという一大事業の物語であった。読中思い当ったのは、古今東西、ときの権力者が社会を掌握するためには、武力や金銭のみならず、人々の歳時、つまり「時間」をその手中に入れるということの重大さだった。それまでこの国では長く朝廷によって司られて来た暦を、幕府の下で管理し体制の強化を計ろうとしたということだ。
21世紀に入り、世界は情報のスピードで益々狭小化し、我々は目に見えない誰かに、暮らしのリズムをコントロールされているのかもしれない。先年、せめて前述のラジオ体操はいかがなものかと行政に指摘した。先方は、こちらの意図が分からなかったらしく、今もそれは流れ続けている。
成熟した市民社会に限らず、太陽の光や雨風、季節等は、多数決以前の問題として全ての人々に平等であり、その受容の自由は保証されるべきだろう、各々の24時間の意識や費やし方も。
素朴な思いとして、一人一人の人生という時間の蓄積と営みを大切に心掛けてほしい。
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