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「 ウクライナとクマモトに咲いた二輪の花 」​

2022  5月

西 山 英 夫

 マリア・プリマチェンコ

彼女のことを初めて知ったのは、NHKの日曜美術館だった。

花や人、生き物のユーモラスな作品、ひと言でいうと「慈しい絵」だった。

素朴派というタイプの、技巧に頼らない筆使いや身の回りの題材を鮮やかな

色彩で表現した温かい世界に自然と顔がほころんだ。

帝政ロシアの終末期、キエフ近郊の農家に生まれ、幼くして小児麻痺を患い、

不自由ながらも晩年まで独学で自身の夢想を追求し、表現し続けた女性画家。

その生き方にも感心した。

 ウクライナ共和国

​昭和に生まれた人間には、その発音に未だどこかにソ連という残り香を

感じてしまう。

ただしそれは、広大なソ連邦の中でも、最も実り豊かな風土と同時に、

苦難の歴史をたどった「豊穣と戦いの大地」という尊敬の意味でだ。

ヴィットリオ・デ・シーカのひまわり畑、キエフの聖ソフィア大聖堂、

そしてマリアが描く慈しいウクライナがそれを物語っていると思うし、

極寒のロシアの人々も、もしかしたら同じ敬意を秘かにこの麗しい大地に

持っていたような気がする。

 塔本シスコ

私と同じ郷里のクマモト人で、先般初めて展覧会を見に行った。

幼い頃、映画スタンドバイミーよろしく、廃線の鉄橋を渡った記憶に

引かれて彼女の描いた同じ鉄橋の絵を見たかった。

驚いた。そんな作品だけではなくて、会場には溢れんばかりの花が

咲き乱れていた。

それも病後の壮年を過ぎてからの渾身の数々。

シスコと同じ素朴派の画家マリア・ブリマチェンコの絵がすぐに浮かんだ。

遥か八千キロも離れた洋の東西で、そして偶然にも二十世紀のほぼ同時代を

生きた独学の女性画家たち。

 幸福の受容と追求

この二人に共通することは多い。

共に、経済的にも身体的にも満たされた人生を送ったわけではない。

けれど晩年まで、その身の上に抗うようにひた向きに「何か?」を描く二人。

結論から言うと、二人とも幸福な人生だったように思える。

他者からの承認よりも、自身の感覚と素直に向き合い問いかけ、そして

何よりもそれを愉しんで表現し続けた生涯。

もしかしたら、一人の人間の想像力によって出来ることは、善も悪も果て

しないのかもしれない。

誰かのためではない一人のささやかな営みが、世界の向こう側の人に喜びや

幸福感を見つけ出させてくれることもある。

他方で、たった一人の為政者やひと握りの権力者の「妄想」が、国家や国民を

欺いて世界をつくり替えることも出来る。

もの創りに携わる同じ人間として、ウクライナとクマモトの二人の画家が、

花の風景に描こうとした「何か?」を、自分の生の中で見つけて全う出来た

なら本望だと思う。

​同様に、誰しもが「そう生きられたなら」、明日の幸福な世界をそれぞれに

見つけられるような気がする。

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Our Army, Our Protectors, 1978

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塔本シスコ《枚方総合体育館前のコスモス畑》1996年

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